円安爆進中につき母転職

美術館の展示自分のこと

いやはや。こんにちは~。久しぶりのワンオペ母です。

円安爆進中で、ヒヤヒヤを通り越して絶望のどん底のワンオペ母です。

計画を立てた段階では120円台だった為替が、いまや150円台後半。
4年間の学費、生活費は100万円単位で違ってきます。

これは本当に計算外だった・・・。

ということでこの春一人春闘していた派遣社員のワンオペ母ですが、それも埒があかず、より良い給与を目指して転職を決行。
ワンオペ母の年齢ではかなりリスキーなふるまいです。。

そして何よりも自己紹介が苦手、極度の緊張症なので、メンタル体力をかなり消耗しました。。

だけど人は追い込まれるところまで追い込まれると開き直りますよね。

自分が貧乏暮らしで死にそうとかならたぶんそこまで力が出ないと思うのだけど、異国で友達もできて、懸命に青春を送っている娘が留学中止の窮地に立たされるかもとなったときに、ワンオペ母は追い込まれ切って、やはり最後には開き直りました。

インターハイが決まるときの試合もそう。
団体戦の決勝でシングルスが一つ勝って一つ負けた。
なので我々ダブルスにインターハイへの夢がかかった状態になった。

365日の球拾いから始まって、気絶寸前の練習を仲間と支えあって乗り越えてきた。
そのみんなの最後の試合になるかもしれない大一番が自分たちに回ってきました。

いつもは強気なペアのひいちゃんがミス連発。
それくらいプレッシャーのかかる試合。
応援してくれてる補欠メンバー、後輩たち。

責任感だけは人一倍あるワンオペは、緊張を通り越し、息もできないくらいになって、だけど結局最後には開き直りました。
ゾーンに入った感じ。
もう周りの音は何も聞こえない。集中の極限。無我の境地?
すごくリラックスした状態でプレーに集中できた。
勝利の瞬間は無音でした。

何かに没頭してると時間はあっという間に過ぎる。
人は生まれて死んでいく。
あっという間に過ぎた人生ってよく言うけど、こういうゾーンの瞬間が多ければ多いほど、人は幸せなのかもしれないな。

我を忘れる瞬間。
そういう瞬間をいくつも重ねて死を迎える。
どちらにしても死ぬんだし。
そうやって没頭しててあれ?と思ったら死んでたっていう人生はいいような気がする。

そんなふうに生きてきたと思ってたけど、守るものができたら冒険できなくなった。
けど、それもあっという間に過ぎた。
18年間あっという間。
冒険できないできないできないと嘆いていたのもあっという間。

今ワンオペに50代後半にしてまた自分の人生を生きるチャンスが巡ってきた。

そしてかつての同僚に教わった、面接は盛りまくるのが普通、という言葉を肝に銘じて、開き直って面接にのぞみました。

そして転職成功。
在宅多め、給与5万アップという希望の条件で新たに頑張ることになりました。

やれやれ。。
だけどいろいろ立ち回って、寿命は確実に縮まった。。

人見知りで神経質な私にとって、新しいこと、新しい人に慣れるまで、また死ぬほど疲れることになりそうだけど、とにかくやるしかない。

円安は爆進中だし、娘への仕送りは待ってくれないのだ。

そしてそれもまた夢のように過ぎていくのだろう。

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