こんにちは~。
ワンオペ母です。
少しご無沙汰してしまいましたが、暑さもやっと落ち着いてじっくり物事に取り組める季節になりました。
今年も昨年のように長い夏が終わったらすぐに冬ってなってしまいそうなので、この爽やかな短い秋を楽しみたいです。
娘は2学期に入り、さらに忙しい日々を送っています。
娘の学科は課題、宿題が山のようにあり、そのうえ週3回学生課でアルバイトをしています。
1学期は頼まれてボランティアで日本語サークルの先生までしていました。
あの、成績がいつも2か3で、将来どうなってしまうんだろうと心配で仕方なかった娘が先生だなんて・・。
人生何が起こるかわかりません。。
でも残念なことに2学期はボランティアを断ったそう。
メディアデザイン学科はあまりに課題の量が多く。
動画をつくったり、3Dグラフィックスを使用して本の表紙デザインをしたり。
みんな学校に泊まり込んだりしてやっているそう。
娘は寮なので、なんとか寝に帰ることはできているようですが。
先日は陽の沈む漢江と、車が行きかうソウルの夜景の動画を撮影するとかで、一人漢江に繰り出していました。
Lineで話をしながら風景も見せてもらって、一緒に漢江を散歩したような気持ちになりました。
水面がキラキラして、風が少し強くて、爽やかな秋の漢江。
それにしても大学生か。なつかしい。
私は英文科だったし、卒論を書かなかったので(授業を多めにとってそれに替えた)楽だったけれど、理系の学生は卒業制作で学校に泊まり込んで大変そうだった。
ところが、その忙しさの中で、この冬休みは中国語を勉強する予定とのこと。
今のバイトは学生課で留学生のお世話をすること。
中国人学生が多く、いろいろ相談に来るらしいのだけど、中国人学生のいる学科というのがグローバル学科といって授業は英語と中国語で行われるため、基本的にみんなあまり韓国語ができないそうです。
ということで各種手続きのお手伝いなどをするそうなのだけど、先日もビザのことでいろいろトラブルがあったのを目の当たりにしたようで、もっと中国語を勉強してお助けをしてあげたいのだそう。
勉強が嫌いで勉強なんて絶対やらないと言っていた娘が、、、😿
英語は必要なことはわかっているけど興味がないのであとでやるそう。
今はパソコンの授業も頑張っていて、ハングルのブラインドタッチができるようになったそうで。
韓国アイドルのコンテンツを見るとみんなとてもブラインドタッチが上手なんですよね。
小学校くらいから授業に取り入れているのだろうな。ゲームで上達もするし。
娘は幼稚園の頃ママ友に安くピアノを教えてもらっていたのだけど、楽譜を勉強するのが嫌で2年くらいでやめてしまって、でもそのあと自分で耳コピした曲を上手に弾いたりしていて、指を動かすのは得意そうだった。
私は15年ぶりにフルタイム復帰して、指が固まってしまっていてなかなかタイピングがうまくなりません。。
娘は韓国語も授業を聞くのに不便がないほど上達させているし、どんどん抜かされていくなぁ。。
わたしの方が頑張らなくちゃ。。
私は娘にスマホを持たせるのが非常に遅かったです。
小学校6年生でスマホをもっていないのは娘とあと一人だけ。
担任公認のクラスのグループラインがあることを保護者会で知り愕然としました。。
「反動」というのがあります。
何かを禁止するとその反動でよりそのことを行うようになる。
中学生になってスマホを持ってからは私が寝た後に死ぬほどスマホをやってたみたい。
約束を破って安心フィルターやスクリーンタイムをさくさく解除してたみたいだけど、Z世代に昭和のスマホ音痴な私がかなうはずもなく。。
あれよあれよというまにインスタやツイッターを使いこなし、高校生の頃はツイ友とライブに参戦したり、オフ会を企画したり、わたしの知らないところで新たな人間関係を築いていた。
韓国に住んでいる韓国人のツイ友もたくさんできたみたいで今もソウルで会ったりしてる。
そして何より、Tomorrow×Together、そしてBTS、Straykidsとyoutubeのコンテンツを見まくって韓国語の基礎を習得・・。
それが結果的には韓国の大学への進学へと繋がった。
人は好きなことは勝手に学んでいく。
あたりまえだけど、好きなことに出すエネルギーはすごい。
好きでないことを無理やりやらせても結局は無駄だ。
いや無駄ではないかもしれないけど幸せにはあんまり繋がらない。
でもあの頃はとにかく心配しかなかった。
これじゃまるでスマホ依存症じゃないか。
どの教科も興味がなくてつまらない、
歌うことは好きだけれど音楽の勉強には興味がない。
工作は好きだけど極めるほどではない、
体育も好きは好きだけど苦しい練習は好きじゃない。
じゃあ将来いったいどうするんだ。
明るくて場所見知り人見知りをしない元気なキャラ。
そんな娘のことは信じていたけど、世の中それほど甘くはない。
娘が自立してどう生きていけるのか正直イメージがつかなかった。
もちろんこれからだってどうなるかはわからないけど。
そんな娘が高1でアルバイトを始めてからすごく変わった気がする。
暑い夏も雪の降る日もどんなに疲れていてもいったんシフトを入れたのなら簡単には休まず通い続けた。
責任感が生まれた。
年配の同僚の方が多かったので、メルカリやマルチ複合機の担当にされて、自分が仕事で活躍できる自信がついた。
常連さんに声をかけてもらえるようになった。
変な客に困って、ああいう大人になりたくないと学んでた。
オーナー店長が高齢の女性の方なのだけど、神様は乗り越えられる試練しか与えないんだって、とその店長に言われた言葉を教えてくれた。
先生の言うことは全く聞かないのに、いや、大人の言葉を素直に聞かない年頃なのに、そのオーナーの言葉は響いているみたいだった。
留学を応援してくれていて、テスト期間中のバイト代を有給休暇といって振り込んでくれたりした・・。
ちなみに高校ではバイトが禁止されていたけれど、それなら我が家のような境遇の子供がどうやって留学できるというのだ。
貯めたお金でコロナ渦真っ只中の高2の夏に1か月韓国短期留学を決行。
あの時、日本の留学エージェントはどこもおよび腰で、留学代行を引き受けてくれなかった。
ビザがとれる保証がなかったから。
唯一韓国に本社がある(代表は日本人)エージェントが短期留学を企画していた。
あの時の留学準備も死ぬほど大変だったけど、ともかくこの経験が今の正規留学に繋がったことは間違いない。
その突破口は娘自身が切り開いた。
それはSNSオンチの私には想像もできないことで、決して成しえなかっただろうこと。
あれがなかったら今頃は家から通える韓国語を学べる私立の大学か専門学校に通っていたと思う。
それも悪くはないけど、親元を離れて異国で学生生活を送る経験には及ばない。
コロナ渦のあのむせかえるような酷暑の夜。
どう考えても問題が多すぎて、すべてが絶対不可能だし絶対無理!と娘に宣言して早々に布団に入った。
翌朝起きたら状況が一変してた。
ダイナミックな人生の分岐点。
娘は夜の間にあっさりと問題をクリアして留学を現実に近づけた。
それについてはまた次回に。