人生の分岐点

壁にRelax on the Waveの文字韓国留学



こんにちは~。
韓国留学サポート中のワンオペ母です。

娘が大学に入って早8か月。
だけどまだあまり実感がわきません。

これまで娘の韓国留学に際してけっこうなサポートをしてきたと思うのですが、それはあくまで事務的な作業に過ぎません。

この留学を夢から現実へと変えたのは娘自身です。
それには大きな2つのポイントがありました。

1つは韓国の「専門大学」という思いもよらない進路先を調べてきたこと。
(詳細はこちら↓)


もう一つは高2のコロナ渦真っ只中に不可能と思えた短期留学を強引に決行したこと。

おおげさだけどあの時、人生の歯車のカチッという音が聞こえたような気がしました。

私自身にもたくさんの分岐点があったと思うけれど、これほどまでにはっきりくっきりと「人生の分かれ目」を感じたことはありません。

今から2年前、コロナ渦真っ只中に計画した韓国短期留学。

娘はこの短期留学を目標に高1からアルバイトを始めました。

あの時はまず受けてくれるエージェントがなかったです。
大手留学エージェントから韓国留学専門エージェント、ありとあるあらゆる会社に2020年くらいからずっと問い合わせをしていたのですが、ビザがとれる保証がない中で、韓国留学を企画している日本の会社はありませんでした。
時々マルタはいかがですか?とメールが来ていたけど、韓国に留学がしたいんです!

唯一、ビザさえとれるなら受けますというエージェントさんがあった。
日本に支部はなく会社は韓国にある。
代表の方は日本人のようだったのですが、やりとりはチャットのみ。
実態のある会社なのか?どれくらいの規模の会社なのか?不安は募る・・。

申し込んだのが遅く、ビザがとれなければキャンセル料は代金全額。
そしてさらにうちの県は2日徹夜しないとビザがとれないという状態だった。

あの夏、今年にはかなわないけど、記録的な猛暑で夜の気温が30度を下らなかった。
そんなの絶対無理。2日も徹夜したら熱中症で死んでしまう。

私はその頃仕事が忙しく体調もあまりよくなかったので、この猛暑の中1時間でも並んだら命の危険があると本気で思いました。

なので絶対NG!
今回の短期留学は諦めるしかない。
コロナがもう少し落ち着いた冬休みか春休み、もしくは高3の夏休みに行くしかないよ。
しかも未成年の高校生なのだから夜中に並んでたら補導されちゃう。

何より向こうでコロナになったら別部屋隔離料金もとられちゃうし、そもそもいったい誰が看病するの?

その晩大激論の末、疲れた私は先に寝た。
その時点で私の中では短期留学の話は完全に終わっていた。

ところが朝起きるとすでに2日間の徹夜を含めたすべての並びの手配が完了していた。

まず一日目の夜の徹夜はツイッターで呼びかけて一緒に並んでくれることになった大学生のお姉さん。
そのお姉さんは友達と大学の思い出旅行に行きたいのだけど、友達は東京で一日徹夜してビザがとれて、自分もとりたいがこの県では2日並ばないととれない。
1日はなんとか並んだとしても2日すべてを自分で並ぶことは難しい。
なので昼は娘、夜はお姉さんが並ぶという段取り。

そして2日目の夜は代行。

代行??そんな怪しいの絶対ダメ!

だけどツイッターの宣伝を見ると「すでに並びすぎてまるで実家に戻ってきたような気がしています」というコメントとともに領事館横の壁に沿ってレジャーシートやテントを張って並んでいる様子の写真を上げていました。
そのコメントがちょっと面白くて、、そんなに悪い人たちではなさそう・・。

それにしてもいろいろな仕事がある。
代わりに並ぶ。
コンサート、スポーツ観戦、デパートのセール、需要はいっぱいありそう。
ただ座ってスマホをやっているだけでコンビニのアルバイトと同じくらいの賃金を得る。
うーん。。

だけど昔はそういう抜け道や裏道みたいな仕事がいっぱいあって、なんとなく怪しいんだけどみんな強く生きていた。

結局私も午前半休をとって始発で行ってお姉さんと交代。(お姉さん徹夜でぐったりしてました。。)
その後昼まで私。昼に娘の友達と交代。その後22時ころまで娘。
そして二日目の夜は代行。

120%無理だと決めつけていた2日間の徹夜問題が、私が寝ている間にさくさくと解決され、あれよあれよという間に私や友達や学校の先生までも(テスト中に学校を早退した)を巻き込み、ビザ取得を実現してしまった。

この短期留学の経験がなかったら、娘は今おそらく韓国にいない。
夢を現実に引き寄せた瞬間。それがあの晩だった。

それは根性とか情熱とかいう言葉とはほど遠いZ世代の権化のような娘の中に、わたしの知らない、強い意志を感じた出来事でした。

そのあとはPCRを受けたり、記憶がないくらいバタバタで。

空港の出国ゲートで見送った後なんだか呆然としました。


娘はふだん力を出しきらない。(と私は感じていた。)だからやきもきして心配になる。
だけど今回はここぞとばかりに人生を自分に引き寄せた。

その後の正規留学に至るまでの多くの事務的な作業はここでも書いているように手伝った部分も多いです。

だけど肝となる発想は娘の中にしかなかった。


やりたい目標がみつかってそれに向かって毎日が過ごせているなら、あとは健康の心配だけ。(あとお金。。)

今は2学期を迎え、韓国語にもますます磨きがかかり、韓国人学生と肩を並べて勉強しています。
友達もたくさんでき、夏休みには釜山の実家に招待してもらったり、良い先輩、良い教授にも恵まれて学生生活を謳歌している。

最近では日本語を忘れちゃったとかさみしいことを言ってくるけど、私自身は娘の小さかった頃のことをしょっちゅう思い出して一人でクスっとしてしまうことが多いです。
家でも、会社でも、電車でも。


必死すぎてゆっくり味わうことができなかった子育て。
やっと一息ついて、記憶の箱からひとつひとつ取り出してゆっくり眺める。

ほんの些細なエピソードが心を照らしてくれる。
どれもキラキラしてる。
宝石みたいなんだよ。



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