娘、大学の奨学金をもらう【韓国留学】

韓国留学

こんにちは~。
ワンオペ母です。

1学期の成績が出ました。

3.4

信じられません。

2学期の学費が40%オフになります。
そしてあと0.1ポイント高ければ50%オフになるところでした。惜しい~。

平均自体は3.5だったけれど、単位数によって計算方法が変わってくるそうです。

奨学金について書いた記事はこちら↓



娘の学科の学費は1学期5,400,000ウオンですから 約594,000円支払うところを356,400円で済みます✨。

何が驚きかというと中高の娘の成績は2や3ばかり。
勉強は大嫌い。

ですが今回の成績はA3つ、B+1つ、B1つ、C+1つ。
AとBばかりです。

C+は仕方がない。ドローイングの授業です。
娘は絵などの勉強はしていません。
映画製作の編集の記録を受験の際のポートフォリオに出しました。

学部は美大のようなところなので子供の頃から絵を習っている生徒も多く、とてもかないません。


ですが私が注目したのは映像デザイン基礎概論がAだったこと。

娘がとった授業のうち2つは留学生専用の韓国語の授業です。
ですが、このデザイン基礎概論はふつうに韓国人学生と一緒に受けるもの。

語学のハンディがある中でAは本当にがんばったと思います。(しかも留学生は韓国語授業分テスト数が多い)
設問も記述式が多く、韓国人学生も難しかったと言っているそう。

娘は高校受験で県立高校の試験を受けましたが落ちました。
その落ちたという事実よりも、獲得した点数が、県内に何十とある県立高校のかなり下位の高校の合格最低点をも下回ったこと。。

それまでは娘にはある程度勉強ができることを普通に期待していました。
私は勉強しろとはそれほど言わない方でしたが、せめて普通の成績はとってほしいと思っていました。
そこまでできないことはないだろうと高をくくっていました。

でもその点数をみたときに、この子に成績のことを言うのは今後いっさいやめようと思いました。
娘は娘なりに頑張った。それでこの点数だった。

なんというか、背の低い子に背が高くあれ、目の見えない人に見ろと言っているようなことなんじゃないか。
私なりに葛藤はあったけど、それ以降娘の成績が全く気にならなくなりました。

成績が悪ければ娘は自分の娘ではないのか?
成績が悪ければもう価値のないいらない人間なのか。
絶対に違う。娘はかけがえのない私の娘だ。
娘は娘なのだ。

高校ではさらに成績が悪くなったけれど、そう思ってからは娘との関係はとても良好になりました。

成績がよくても悪くても娘は娘。
わたしなんかのところにやってきてくれた奇跡なのだし、健康で少しでも笑顔の多い暮らしをしてくれたらそれでいいのだ。

そんな娘が韓国留学に挑戦し、韓国語をものすごいスピードで上達させた。

そればかりでなくデザイン基礎という専門的な学問で韓国人学生と肩を並べてクラスで上位の成績をとった。

それがどれほどの頑張りだったのか、ずっと見てきた私にはわかる。

子供は親が邪魔さえしなければ勝手に自分の好きや得意を伸ばしていく。
人は好きなことなら誰に言われなくても勝手に学ぶ。

そんな当たり前のことを、私は子育てを通して、ようやっと学ぶことができた。

子育てをやり直せるならやり直したいけど仕方がない。

そして私が子供の成績というものを考えなくなった時期と娘がやりたいことを見つけた時期が重なった。

娘はどんどん人生を切り開き始めた。

おためごかしは子供にすぐに見抜かれる。
あなたの人生はあなたに任せる、という本気が伝わったのかもしれない。


そんなこんなで、この7月に娘は2週間ほど帰国をし、がんばった自分へのご褒美と言って毎日のように友達と遊びに出かけています。

そして韓国へ戻る前日に私にご飯をご馳走してくれるといいます。
初めてのおごり飯。
韓国でバイトしたお金でご馳走してくれるそう。

それは渋谷にある和食屋さんでした。
ジャズが流れる個室がたくさんある京風の内装のお店。
その個室で9品のコース(一番高い)をご馳走してくれました。
私はビールなんかも頼んでしまって、あとでサイトを見て金額を知って驚きました。
奮発してくれたんだなぁ。

一度友達と来たことがあるとかで(贅沢してるなぁ・・)、料理やお店のことを説明してくれる姿はとても誇らしげでした。

お店の雰囲気としては、若いころよく通ったような和風のこじゃれた飲み屋なのですが、娘は大人ぶった様子でマンゴージュースをいそいそと飲んでいました。

どれもおいしかったけれど、さばきたてのおさしみ盛り合わせとキスの天ぷら、和牛の炭焼きなどが高級感があってとてもおいしかったです。

渋谷の街は雷がとどろくあいにくの天気で、店に向かう途中近くに雷が落ちて、命の危険を感じるほどでした。
そんな中でも信じられないくらい多くの人々が行きかっていて非現実的でかなりシュールな光景でした。

食べている間にゲリラ豪雨がふったようで、帰りの地下鉄の入り口が水浸しでしたが、雨は上がっていて、稲光の光景とともに鮮明に残る思い出になりそうです。

娘は少し前から仕送りも減らしていいと言ってくれていて、、その分土日のアルバイトもやめて、老後のお金にしてほしいと。(わたし貯金ほぼゼロだからね~。。)

世の中何が起こるかわかりません。
行く前は、金銭的に行き詰って途中で留学中止もあると本気で思っていました。

もちろんまだまだ油断はできないです。
なにせ自転車操業。
いくら娘が韓国でバイトをしているからとはいえ、私が倒れたら留学の続行は難しくなる。

とにかくなんとか走り続けよう。
ただこのまま走り抜けよう。
ただこのままで。
最後まで。

娘と二人だけの時間も、きっと残りわずか。

前へ